昭和40年06月26日 朝の御理解
(途中から)
また、そういう脱皮を遂げたと、ということがです。現在のおかげを段々、伸ばしてき、また育てて来たんだと思います。皆さん、何かのそこに機会を得たならですね、本気でやはり、勿論それは、良いほうに変わっていくわけですよね。善人が悪人に代わっていくというのじゃなくてです。いうならまあ、悪人が、本当に善人に代わっていくという。あの人は二人見るように変られたというような、脱皮を遂げなければいけないと思いますね。でないと、決して良い運命は展開してまいりませんです。
昨夜の、御理解の中にも御座いましたように、例えば私共の信心でいう、まあ皆さんが、有り難いこと、神様がこれなら喜んで下さるということ、その初一念をです貫き通さなければ、おかげになりませんと。それを挫折するところからです、それをそういう一つの一念を、途中から折ってしまうところから、運命はもう、そこに留まってしまう。ただ日々を取次ぎを頂いてね、御願いをしておかげを頂くといったような、それは一生それを繰り返して居るだけです。ね。
もうその、目を見張るような運命が展開してくるということ。ね。そういう、おかげを頂くためには、やはり、人が目を見張るように、(胸をトントンと叩きながら)これが変らなければ駄目です。ね。毎日拝みよら良かろと、毎日お参りしよら良かろと言ったようなこつじゃ決してありません。私昨日子供達があのう読んでおります、啄木の詩集を机の上においておりましたから、ちょっと開いて見たところにこんな詩が載っておりましたですね。ちょっと忘れました。皆さんはご承知かもしれません。
城跡の石に腰掛け人生の、実を一人味わえるか何とか言ったような詩でした。いわゆるまあ禁断の実というでしょうかねえ。禁制の実と。城跡の石に腰掛け禁制の実を、ま食べたということ、ま食べてあのう一人味わったと言った様な詩でした。あの人は二十七歳で亡くなっているんですねえ。もう本当に難儀から難儀に貧乏から貧乏の中から、あのまあ皆は至玉のような詩だとか、詩とかと申しますけれども、もう実に苦しい詩なんですね。東海の何とか言う、しろ磯白浜にか。ね。
われ泣きぬれて蟹とたわむる、とか。ね。働けど働けどわが暮らし楽にならざり、じっと手を見る、といったような。もうそれは切実なその感じは、その詩に確かに表れておりましても、それでは幸せは一つもありません。本当に私はそういう、こうしてはならないという事をですね。端然としてこうしない生き方。神様におすがりさせて頂いて、ね。ここんところを、私は脱皮させて頂いておるならばです。私はあの啄木の運命も、もっと素晴らしいものに、変っておっただろうと思いますですね。
皆さんこれはどうでもこうでもと思うておったことが、途中で段々崩れてきて、折れてしまって居るような事は無いでしょうか。もう貴方の運命はそれでおしまいなんです。おしまいそれで動かなきゃ駄目です。ね。人間がめぐりという( ? )展開する、伸びていくというのは、そこを貫くということです。同時にこの問題からこの問題にといわば、展開してくるおかげを頂くためにはです。
私共がですもう本当に二人見るような変わり方というか。ね。脱皮を遂げなきゃいけません。いわゆる本気で改まらなきゃ駄目じゃ。改まらんなりにです。改まらんなりに、例えば一つの願いというものを立てて、その神様が喜んで下さるような、例えて申しますなら、ね。御造営なら、御造営ということに皆さんが取り組んで、このくらいおかげを頂きたいと、例えば金銭のおかげでも、とても私共は出来じゃったと。
それで止めて御覧なさい。もう貴方の運命はそれで挫折したわけですね。そんな御用もこの石に噛り付いてもというだけじゃいかんです。そこに本当に二人見る様な脱皮が出来て、初めて神様のおかげを頂く事が出来るのです。そしてこれを貫く事が出来るのです。そこに新しい運命の展開と、新しいおかげが愈々実り育っていくという、おかげになるのです。この辺の所を皆さん、もう本気で一つ思わなきゃいけませんよ。ね。
さあ幾ら幾らお供えさせて頂く事に、あそこにまあ投票はした。あのう箱の中に入れることは入れた。出来るならお供えしようとも出来なかったらもう、神様もご承談のことだからと言った様な事じゃいかんです。いわば神様を肩透かしする様な事じゃないですか。ね。そるけんというてそれに一生懸命に頑張ったからと言うて、出来んものは出来んです。そうでしょうがだから挫折する外に無いのです。その挫折するということは、もう運命がそこで挫折したという事になるのですよ。ね。
だからその為に私共は本気で脱皮しなければいけない。改まらなきゃいけない。その勢いその事を神様がお喜び下さって、りょうに出てない筈の事が、りょうにもなるようなおかげにもなってくると。そこに私の問題を貫くことが出来る。ここんところを貫かせて頂いて、初めていわばりょうにも出てないいうなら運命がです。突き抜けさせて頂く所に人が、自分もまた夢にも思わなかった様なおかげになって来る事になり。
人から見ても、目を見晴らせるような、おかげが展開してくると私は思うですね。初一念を貫き通さねばいけません。それが、我じゃいけません。我とは貫かれません。挫折するより他なりません。そこを、神様はおかげで、脱皮せないけません。改まらにゃいけません。そこから、おかげが頂かれるのです。そして自分がおかげ頂いたのじゃなかった。神様から、おかげ頂かせて下さったんだという、有り難いとともにです。新しい運命が、展開してくるのですね。
おかげ頂かれますように。